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2017-10

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福沢諭吉、死後76年を経てミイラとなって掘り出される

福澤諭吉 - Wikipedia


1977年(昭和52年)、最初の埋葬地から麻布善福寺へ改葬の際、遺体がミイラ(死蝋)化して残っているのが発見された。外気と遮断され比較的低温の地下水に浸され続けたために腐敗が進まず保存されたものと推定された。学術解剖や遺体保存の声もあったが、遺族の強い希望でそのまま荼毘にふされた。



死してなお、恨み憎しみ残せし……筈はなく、単なる埋葬条件のよさ(…よさ?)と掘り出す必要があったことによる偶然の発見にすぎないわけで、陰陽師の出番があったりする話ではないのですが、人が人だけに掘ってみてそのままだったらかなり吃驚しますよねえ。やですよ、ミイラ諭吉スープレックスとかミイラ諭吉オクラホマミキサー。

ミイラ、といっても埃及とかの乾燥系じゃなくて、低温湿潤環境下で脂肪が変質した、いわゆる屍蝋状態だったようですね。だからこそ、全体的に生前のような姿のまま発掘されて世間を驚かせたとか(埃及系だと生前の姿とはとてもいえませんし:もっとも、細部はかなり損傷していたようですが)。

ちなみに諭吉は生前、幕府の遣欧使節団の通訳として海を渡り、途上埃及でピラミッドやスフィンクスに立ち寄っています。つまりミイラなんかもどっかで見ていたかも知れず、そう考えるとなかなか面白い巡り合わせがあるようにも思えます。さすがに無理のある括り方、といわれればそれまでですが。

なお、ネタの端緒となった本はあるミイラの履歴書―エジプト・パリ・東京の三千年

ただ、もっと端的に医者のみた福沢諭吉―先生、ミイラとなって昭和に出現なる本も出ているようですね。これもちょっと探して読んでみようかなあ。
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コメント

>学術解剖や遺体保存の声もあったが、
勝手だよな。

;;;;;;;;;

いおっっっっっっっっっっっっっっっっっp

時を超へた訓辞

先生は後世の我々にきつと何かを伝へかつたのだと思ふ。

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