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2017-08

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350年目の道頓堀裁判

道頓堀 - Wikipedia

大阪名物にして飛び込みの聖地(注:飛び込み厳禁)、道頓堀。この人工河川を巡って、30年ほど前にこんな裁判があったらしいです。

安井道頓の従弟、安井道卜(どうぼく)の子孫が1965年1月4日、道頓堀の川底の所有権を主張して、大阪地方裁判所に起こした民事裁判。江戸時代の所有権の有効性、目的喪失後の慣行水利権の有無、法律未整備時の所有の概念の有無など、多くの問題を提起した。1976年10月19日に、安井氏の請求を棄却する判決が出された。



…まあ、確かに先祖が主君に貰って以来代々耕してる畑や住んでる家と、先祖が貰って掘った運河では何が違うねん、と言えなくない気もしなくもないですが、さすがにそれが通るはずもなく。

用水を返せ

道頓堀裁判
判決全文。全部読むのは面倒臭いので専門の人に任せるとして(お前がいうな)、

四 道頓堀川の開さく工事と本件川敷に対する所持権について、
1 〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
 道頓堀川は慶長一七年(一六一二年)に、道頓、および原告らの先祖である初代安井九兵衛(後に道卜と号す)、その兄である治兵衛定清、ならびに平野藤次らが中心となつて、豊臣家の許可を得たうえ、元梅津川と呼ばれていた小溝を拡げて上下二八町にわたり堀川(当初南堀川と称せられた)となし、かつ沿岸地域を宅地化して町地となすべく、右の者らの自費を投入して(ただし開さく費の全部が私費でまかなわれたかどうかは証拠上明らかでない)工を起こしたものであるが、翌年治兵衛が病没し、また道頓も元和元年(一六一五年)五月大阪夏の陣に際し、豊臣方に従つて大阪城に立てこもり、落城とともに討死にした。他方初代九兵衛、平野藤次らは徳川方につき、御用金を調達するなどして協力したため、家康から土地を拝領するなどの褒賞を受けた。大阪は同年六月八日から松平下総守忠明が大阪城主として統治することとなつたが、忠明は直ちに戦乱で荒廃した大阪市中の市街整理に着手し、市中の富裕な有力町人を元締衆として町割をなさしめ、初代九兵衛、平野藤次に対しても同年九月一九日付家老奉行衆四名の折紙(連判状、甲第二号証)をもつて、道頓堀川沿岸地域の宅地化、ならびに町割等の諸事につき肝煎才覚するように命じた。そのころには既に道頓堀川(南堀川)の開さくはかなり進捗していたが、右両名は右の命を受けて、中断していた同堀川の開さく工事を自費で続行し、同年一一月木津川へ流入する川口の工事を終えて完成させるとともに、沿岸地域の町割家建につき采配を振つて北側を全て町地とした。その後、松平忠明が道頓の遺功を録すため、右南堀川を道頓堀川と改称すべき旨命じたので、以来これが道頓堀川と呼称されるようになつた。



なんてことが認定されていることに大笑い。豊臣家て。

四、第九四号証の一、二の各記載の意味するところも、道頓堀川自体の所持権を「被下」れたのではなく、道頓堀川の両岸に家建てさせることを含めて道頓堀川一帯の肝煎をする権限、すなわち一種の管理権を従前の通り認められたものと解すべきである。そして甲第五号証の記載は右と同旨の権限ならびに慶長年中に拝領したとされている地面(これが誰から拝領したものか、およびその土地の位置は必ずしも明らかでないが、前後の文脈から道頓堀川沿岸の土地であると推認される。なお、「拝領」といつてもそれがすべて私的な所持権を与えられることを意味するものでないことは前述したとおりである。)に対する何らかの支配権を確認されたものとは解されるが、道頓堀川の河川敷の所持権を確認あるいは付与されたものと解することはできない。
 そして、他に、本件川敷およびこれを含む道頓堀川自体の所持権を松平忠明が初代安井九兵衛らに与えたことを認めるに足る証拠はない(なお〈証拠略〉の大阪市史所載大阪三郷町中御取立承伝記、〈証拠略〉の同所載摂陽奇観其一には、安井家の先祖が松平忠明から道頓堀川一帯を拝領し、ここに川を掘つて南堀と名付け西側に建家をした旨の記載がみられるが、前記認定事実に照らすと右記載部分は必ずしも正確でないことがうかがわれるので採用できない。)。



ここらへんも、登場人物が全部歴史上の人物だったりすることを考えるとなんだかなあと思います。

 

原告らの家系、相続関係
 原告らの相続関係は次のとおりである。
(1) 初代安井九兵衛道卜寛文元丑年(一六六一年)一〇月一七日死亡ー二代九兵衛貞享五辰年(一六八八年)七月一四日死亡ー三代九兵衛享保四亥年(一七一九年)八月一四日死亡ー四代九兵衛寛延元辰年(一七四八年)七月二九日死亡ー五代九兵衛安永三午年(一七七五年)六月一一日隠居ー六代九兵衛安永五申年(一七七七年)七月六日死亡ー七代九兵衛寛政二戊年(一七九〇年)六月隠居ー八代九兵衛ー九代九兵衛明治一一年一二月三日隠居ー一〇代健治明治四三年一〇月二〇日隠居ー一一代寿雄明治四三年一二月一五日隠居ー一二代朝雄右一二代承継前原告安井朝雄は昭和四一年一〇月八日死亡したことにより、朝雄の長女である原告安井X1、養子の同X2、朝雄の妻同X3が相続により朝雄の権利義務を承継した。

(原告だけ記号に改変)

あとは、原告の相続関係がなんか凄いことになっていたり。

…裁判所も大変というか、浪速の商売人(の子孫)の凄まじさを見たというか…
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