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雷門は凱旋門になったことがあるらしい

雷門 - Wikipedia

山門はしばしば火災により消失しており、江戸時代だけでも2度も建て替えられている。最後の火災は1865年であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての山門は姿を消す。
明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場したと伝えられる。いずれも博覧会の開催や戦勝記念など、時それぞれのイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもさまざまであった。1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられている。
1960年、松下電器の創設者、松下幸之助が門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立した。風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っている。



凱旋門 - Wikipedia

日露戦争終結時には最高潮を迎え、日本各地にフランスのエトワール凱旋門を意識した大型構造物が無数に建設された。こうした動きは、建設ラッシュとも呼べる異様な盛り上がりを示し、仮設ではあるものの浅草の雷門ですら凱旋門化した。京橋に造られた凱旋門は高さ18mに達したと伝えられる。



 ソースはうぃきぺなんで伝聞系に留めとく、という予防線を張っとくのはお約束。

 ちょっと前、メトロの広告かなんかで「凱旋門より雷門」とか、そんなフレーズがありましたが、どうやら「より」どころか凱旋門は雷門(正確には逆ですが)だった時代があったようです。写真とか見られないですかねえ。というか今私の頭の中には「建物は凱旋門だけど雷門の提灯がぶら下がっている」という、意味不明なイメージ映像が流れておるわけですが。

 しかし、雷門って意外と新しいんですね。サクラ大戦にも出てたからてっきり大正時代にもあると思ってました……あれ(それは太正時代)?

 それにしても「明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場した」、かぁ……なんとなく折田先生を連想してしまうなあ…無許可で門作るアレな人は多分いなかったでしょうけど…


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