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2017-09

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三蔵法師に弟子入りしていた日本人

 とある本を読んでいてチラッと出てきた雑学。ああ、もちろん三蔵法師といっても猿豚河童を従えた物語上の優美な坊さんではなく、実在のほうの玄奘ですので、そこはそれ。残念ながら、日本人が第四(馬も含めれば第五か)のお供として天竺に行った事実が判明したというわけではありません。

法相宗 - Wikipedia

道昭 - Wikipedia

白雉4年(653年)、遣唐使の一員として入唐し、玄奘に師事して法相教学を学ぶ。玄奘はこの異国の学僧を大切にし、同室で暮らしながら指導をしたという。



『法相宗』とは
 当然というか、遣唐使の一員として唐に渡った僧侶ですね。法相宗は南都六宗の一つとして日本史習った人なら習っている、はず。そもそも法相宗(厳密な表記ではないですけど)自体が玄奘によって印度から唐に来たものを、さらにこの人が日本に伝えたことになるみたいです。

 というかこれ、日本史Bの教科書レベルの話かもなあ。確か私は昔ここまで細かいことは習ってなかった気がするのと、妹から借りた山川の日本史用語集では法相宗のところに「道昭が玄奘に師事して持ち帰った」旨の記述はあるけれど道昭で項が立ってたわけではなかったこと、現役生の妹にこの話をして知らなかった(もっとも、妹は理系なので当てにはなりませんが:といってもまだ二年で文理クラス分けされてるわけではないらしいから彼女の記憶力を信じて)ことなんかを理由にネタにしてみるのですが。というか用語集借りたんなら教科書も借りて確認しろよ自分。

 しかし、年代的には十分ありうる話で、どうせ留学するなら最高学府に、というのは今も昔も変わらないことから考えると別に不思議でもなんでもないのかもしれませんが、やっぱり中華の西の果てで猿をたしなめたり怪物にさらわれたり化け物に食われかけたりしてた坊さんと当時の日本人に接点があった、というのは妙な感じがします。長安、国際都市は伊達じゃないなあ。

 でもってこの道昭の弟子が行基、ということは日本各地で伝説を残してる行基は三蔵法師の孫弟子。学問とかの世界って、今も昔も意外と狭いもんなのかもしれません。
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コメント

『続日本紀』にある道照(=道昭)和尚の示寂伝では、帰朝する際に玄奘から餞別として、西域伝来の鍋をもらったとあります。
この鍋で調理すればどんな病気も治るという不思議な力があり、玄奘も帰路中に粥を作っては、病人に食べさせたという名器でした。
しかし帰朝中、道照の乗った船が途中で動かなくなりました。そして、これは竜王がこの鍋をほしがっているためと分かったので、海中に投じたところ直ちに動き出したと記されています。

ありがとうございます。
http://toka3aki.hp.infoseek.co.jp/shi2/shi2_01.xml
このページの文武四年(七〇〇)三月己未のところ、でしょうか。

きっと何かの説話とか比喩とか伝説とかが混じってる世界でしょうからアレですが、例の人外パーティーが持って帰ってきたものの中に鍋があったりするのを想像すると妙な気分になります。…いや、猪あたりなら持っててもあまり奇妙じゃない、か、なあ。

同書には、玄奘が西域に行く途中、飢えに苦しんでいるとある坊さんからナシ(梨子)をもらって食べたら気力が回復したと話し、道照に「あなたもそのナシをくれた人と同じだ」と称えたとあります。

なお、玄奘からもらった不思議な鍋は原文には、「鐺子」と書いて「なべ」と訓じていますが、サスナベとも呼ばれる三本足の鍋だそうです。

>>きっと何かの説話とか比喩とか伝説とかが混じってる世界
この不思議な鍋の力は、般若経の比喩ではないかという考えがあります。

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